マンダレイベイでマイケルジャクソンのシルクドソレイユを。

以前ラスベガスに行ったときは2014-2015のカウントダウン。
ハードロックホテルとカウントダウン、ショッピングがメインの旅行でした。
今回はショーとグランドキャニオン。
(グランドキャニオンは壮大でしたという感想しかあまりない。)

さて、ショーでまず浮かんだのは(当時)トロピカーナかどこかでやっていたRock of ages
調べるとRio Hotelに移動してその後2017/1/1に閉演していました。残念。
みんなでHere I goの大合唱をしたかった。
正直、サーカスにはあまり興味がなく、でもラスベガスで割と暇だなと思って(カジノにはあまりハマらなかった)
一通りガイドブック等でショーを調べました。
そこで見つけたのはMichael Jackson One。マイケルジャクソンのショーですね。
マンダレイベイホテルの中にあるMichael Jackson専用のシアターで毎日2回ずつ開催されています。
母がマイケルジャクソン大好きだったこともあり、「あ、これにしよう」と。
チケットサイトでは座席ビューも見れました。考えた末、1番高い席に。200ドル強です。

マンダレイベイまではベラージオ付近から出ているバスで。(滞在先はBALLY'S)
このバス、2時間有効券と1日有効券ともっと長いの(期間は失念1wか3dだった気がする)があり、
2時間は無理なので1日券を購入。
基本的に下調べが足りないので、ググりつつ現地の親切そうな人に聞きつつが基本です。

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マンダレイベイの奥に行くとマイケルジャクソンシアターが。

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外からしてテンション上がります。

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スタッフの皆様もマイケル風の制服を身に着けていたり、

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ドアもうれしい装飾が!

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Beat Itから始まるショー。曲目はメジャーどころは大体網羅し、そんなに詳しくないと思っていても知ってる曲が多いと思う。
(わたしもNumber Onesを聞いて、This Is Itを見てBlu-rayを持っている程度)
個人的にはBadのお兄さんがめちゃくちゃかっこよかったのと、ムーンウォークのアジア人風のお兄さんが美しかったのと、
ギタリストのお姉ちゃんが最高だった。片足のパフォーマーもただただすごく感動した。
いやいや、Dirty Diannaのお姉ちゃんのパフォーマンスも最高だったし、どれも最高!ってなりました。
わたしの母がマイケルジャクソンが大好きだったのだけど、母に見せてあげたい気持ちでいっぱい。
マイケルジャクソンが出ているわけではないけれども、遺族の全面協力ということもあり、
すべての出演者や演出はマイケルの魂を継いだもので、曲のアレンジについても原曲をリスペクトした素晴らしいものでした。

シルクドソレイユのすごいところって、世界最高レベルの身体能力を誇る軍団と
最新のテクノロジーが融合して、一つのステージを作り上げているということだと思います。
これは文章はおろか映像でも素晴らしさは伝えきれないもので、こういうものこそ本場で楽しむものだなと。


この記事を9割がた書き終え、アップしようと思ったら凄惨な事件が起きてしまいました。
私自身、1か月前にこの場所でとても素敵な時間を過ごし、
多くの人に訪れてほしいと思い、この記事を書きました。
素晴らしいホテルが事件の拠点とされてしまったことはとても悲しいし、ニュースで見るたびにつらい気持ちになりました。

好奇心旺盛なわたしはフェスなんて近くでやっていたら音漏れとか野次馬的に行ってしまうだろうなと思い、

その日に行っていたら多分巻き込まれていただろうと。
ラスベガスは本来治安もよく、煌びやかで非現実的な気持ちにさせてくれるカジノやホテル、

圧倒的感動を見せつけてくれるサーカスなどのショーがあり、ただただ楽しい街です。

落ち着いたら絶対また行こうと心に誓いました。(今度はビートルズのLOVEのシルクドソレイユ見たい!)

西海岸旅行記~プロローグ~

2年ぶりに夢の大地へ。
一人旅となると5年ぶりかな。
ラスベガス、サンディエゴ、サンフランシスコの3都市を7泊で回ってきました。
サンディエゴ以外は2度目だったので、ベタなところの観光はしていなかったりしますが、
時系列無視して楽しかったところのご紹介が出来ればと思います。
予定としては以下のような感じで書いていく予定です。

uberに乗った話
・シルクドソレイユに行った話
・Sandiegoでウニを食べた話
・Sandiegoで定番の観光をした話
・アメリカでポケモンGo
・ナパバレーでワイナリー巡り
・日本未上陸コスメ
・現地の人と気軽に話すTips

お楽しみに!

親しくない人に会うのが億劫

母がなくなりすぐは、人に会うのが億劫で、
出社再開してからしばらくは、1人でいることや身内でいることがしんどくて、
ここ1ヶ月くらいは親しくない人や母と同年代の人と会うのが億劫です。

天気や気圧のせいなのか、ホルモンバランスのせいなのかはよく分からないけれど、素直に心の声を聞いた結果、
先約主義、誘いは断らない主義を初めて曲げて、仕事以外では心地いい人とだけ接しています。
とはいえ、またすぐに誰でもいいから会いたい飲みたいという時期が来る気もしていて、
それは自分にも分かりません。

R.I.P

以前投稿したこの記事

それから約1ヶ月経ちました。
その様子がこちら。













今年は諦めていた花が咲いた(´;ω;`)
(数日前の大嵐で、鉢が倒れてしまい、復旧途中。)













小林麻央さんが、母と同じ病気で亡くなりました。
母が乳ガンだと知るまでは、失礼ですが麻央さんのことはあまり気にも留めていませんでした。

母も病気を私たち娘に隠すほどに、わたしたちの日々を楽しむ姿を見て居たかったと聞いています。
それを知ってからは、麻央さんのブログ更新や、観劇や、子供達の成長を見るという楽しみに批判の声を見るととても辛かった。
今日は体調がとても良かったけど、次の日はしんどいなんていう日はよくあることで、昨日までショッピングしてたくせにとか、昨日は立ち上がれないと言ってたくせにみたいなコメントは本当に他人事ながらに胸が痛みました。
元気な日は楽しく元気に過ごしていいし、心と体の結びつきは深く、麻央さんがブログで元気に過ごされている様子を見ると、今日は体調が良くてよかったなとなんとなく思うことも。

麻央さんの生き様や、海老蔵さんの会見を見て、たくさんの感情が湧いてきましたが、
最期まで家族にたくさんのことを伝え、愛してきた人なんだなと。
わたしの母は、まだ元気になる気満々だったので、大好物の春巻きの作り方も、妹の大好物のいなり寿司の作り方も、わたしたちへの想いも何も告げずに亡くなりました。
ただ、思い起こせば、意識が朦朧としているときの最期の言葉は、「さえちゃん」に聞こえました。
わたしたちもまさかそれから亡くなるなんて思っていないから、割と聞き流しちゃったじゃないの。

また海老蔵さんも三日三晩泣いても足りないくらいに悲しみで心がズタズタなはずなのに、お仕事を休まれることもなく、また会見にも望まれていて尊敬するとともに、月並みの感想ではあるけれども芸能人って大変だなと思いました。
努めて普通に過ごし、早速ママの役までこなそうとされていることに、まだ頑張らないでと思うとともに、何かしてる方が気が紛れるもんねという気持ちも。

とはいえ、わたしは麻央さんが全快してもきっと心から喜べなかっただろうなという気持ちもあります。
同じ病、うちも決してお金に困っていたわけでもない、麻央さんよりだいぶ年上とはいえまだ若いと言える年齢、
それで麻央さんが助かり、母が亡くなったというのならやはり、芸能人だからなのねという気持ちもきっとあったでしょう。
進んでしまった病を前にしたら、人は平等なんだなと少しだけ安堵した気持ちにもなりました。
書くか迷ったけれども、わたしもそんなに性格のいい人間ではないし、素直な気持ちとしてはこんなところです。

ふたりとも、どうか天国から家族を見守っていてね。

母と花

母は花を含め、植物が好きだ。
これはわたしが一眼レフを買ってすぐの写真。
被写体探しをするわたしに、是非撮って欲しいと言って、撮らせてくれた写真。
紛れもなく、わたしの一眼レフの最初の一枚。
母がiPhoneを買ってしばらくはLINEのアイコンにしてくれていました。

5月になったら撮って欲しいのがあるの、と、4月から言われていた花がこれ。
5月の晴れた日に、撮影会。
白い小さなお花が本当にキレイでした。

母が亡くなり、妹が水をやっていたのだけど、いつの間にかやらなくなってしまい、こんな有様に。
まあ花どころじゃないほど、仕事に慣れない家事にと大変だったから仕方ない。
5月になって家事にも慣れ、わたしの朝がゆっくりになったことをきっかけに、ダメ元で水遣りを再開。

そして最近!よく見ると緑の小さな芽がたくさん!!
おそらく1ヶ月くらい放置していたのに、植物の生命力には畏れ入る。
最近の朝の楽しみはこいつの成長を見ることです。
今年は花を咲かせられなかったけれども、来年には美しい白い花と新緑をと心に誓う。

それにしても、7:40に起きても水遣り、洗濯物干し、弁当作りが余裕でできるって素晴らしいな。
(これからこれらを一通りやったら汗だくになるんだろうけど)

母と大谷選手

母は大谷選手が大好きです。

妹と3人で東京ドームに大谷選手の登板試合を見に行きました。
その年、大谷選手はロッテに強かったので絶対に勝てると思ったのにその日は負けてしまったのを覚えています。
思えば、母が大谷選手を生で見たのはその時が最後だったのかなと思います。

もちろんユニフォームも持っていて、大谷選手が登板する日は家でユニフォームを身に付けるほどでした。
余談ですが、遺影を探すために携帯の画像フォルダを見ましたが、テレビに映る大谷選手を撮った画像がたくさん出てきました。
数少ない自分の写真も、ファイターズ日本一Tシャツが届いた時に自撮りしたものなど、泣きながらも母らしさに笑ってしまうようなものばかりでした。

ファイターズ日本一のTシャツもすぐさまネットで購入し、オールスターにわたしが行くと必ず大谷選手の名前が入ったTシャツを頼むほどでした。
それを着て、普通に買い物にも行っていて出て来たTシャツは色褪せていて、こんなに着てくれるならスペアを何枚も買ってあげればよかったと思うほど。

テレビでメジャー球団が大谷選手に注目していると聞けば、「絶対にお父さんに連れてってもらわなきゃ♪」と、大谷選手のメジャー行きをわが息子のことのように楽しみにしていました。
もちろん今年のWBCも本当に楽しみにしていて、1月の終わり頃に大谷選手が出場を断念した時には本当に落ち込んでいました。
もし大谷選手がWBCに出ていれば、母はそれだけでまだ生きていたんじゃないかとか、
WBCで活躍する姿に希望をもらい、今も元気だったんじゃないかなと思うと、大谷選手や栗山監督を恨む気持ちも湧いてきます。

入院生活が長くなることを覚悟して注文した大谷選手のカレンダーは、到着が間に合わず。大谷選手には悪いけれども、棺桶に入れてあげました。

そのようなこともあり、わたしは有給消化期間に母の大谷選手のユニフォームを握りしめて札幌ドームに行きました。
ところが、旅行を決めた翌日、大谷選手は戦線離脱。
まさかの鎌ヶ谷で済んだパターンとなってしまったのです。
本当に本当に、大谷選手はどこまで母に意地悪なのだろう。
わたしは鎌ヶ谷にいる選手のユニフォームを身に付け、札幌ドームで観戦したのです。

連敗中のファイターズでしたが、その日は勝利。きっと母の思いが届いたのでしょう。
また、その日はたまたまファンクラブデーということで、会員の友人にチケットを頼んだらとてもいい席で1000円で見れました!
そしてその友人、母の大学の後輩にあたる子だったことや、亡くなって早くにお悔やみの連絡をくれた子だったので、本当に感謝しかありませんでした。

何をするにも、どんな偶然にも縁を感じざるを得ず、またどんな縁にも感謝したくなるような出来事の一つです。

有給消化期間に家を離れること、少し悩んだけれども妹や父や母の兄も、ユニフォーム持って連れて行ってあげてと快く見送ってくれました。
亡くなってちょうど2ヶ月で不謹慎だという人もいるかもしれませんが、家事や日常から離れて、母と縁のある(札幌自体には縁は薄いけど)ところに行き、ゆっくりと思い出して愛おしむ時間、行ってよかったと思いました。

グッズ売り場には、たくさんの大谷選手のグッズがあり、買ってあげたいものばかりで、涙が出てきそうになるほど。
仏壇においてあげられる小さめのうちわやキーホルダーを購入し、我が家の仏壇は誰の仏壇かわからない程に大谷選手で溢れています。
お近くにお越しの際には是非お立ち寄りいただき、手を合わせて、そして笑ってあげてください。

ここから

久しぶりの更新となってしまいました。
この3ヶ月くらいの間、本当に本当にいろいろなことがありました。
これから少しずつ、その期間のことを書いていけたらと思います。

さて、2/12に大好きな母がこの世を去りました。
もうすぐ百箇日だそうです。
百箇日はもうメソメソくよくよするのはやめて、前を向きますよという日だそうですが、
正直、メソメソくよくよは全然終わる気配はありません。
それでいいかなあと思います。
後悔はなくなる日はきっと来なくて、でもその後悔をして生きていくことが母と生きていくってことじゃないかと思い始めました。

毎日楽しいこともたくさんあるけれども、本当にふとした時に母を思い出しては涙目になることも少なくありません。
でも、最近夢に出てくる母は、苦しくなさそうなことが多いです。
わたしが二度寝して遅れそうになると、「さえちゃん!」と元気に起こす声が聞こえてきたこともありました。
100日、あっという間のようなとても長かったような不思議な気持ちです。
でも少しずつ気持ちが前向きになったことからも、時間の偉大さを感じています。
何度も更新しようと思いながらも、書いては泣いて消し、というのを繰り返し、3ヶ月経ってやっと少し昇華されはじめ、綺麗な気持ちや感謝の気持ちを言葉にしようと決めた次第です。

とはいえ、病気のことを細かく書くのは、わたしたちにすら何年も黙っていた母の意向に沿わないと思いますのでここでは控えます。
この3ヶ月くらいの間に考えたことや、楽しかった母との思い出をたくさん書ければと思います。