お母さんは不死身だと思っていた

当たり前なんだけど、わたしよりも29歳年上である母親は、わたしよりも恐らく29年程度早く逝く。父にしても然り。妹は4つしか離れてないからここでは気にしない。

自然の摂理とはそういうものなのだと思う。

それでも実家から出たことのないわたしは、母のいない生活なんて考えられず、自分が死ぬことは想像できても母が死ぬことは想像できなかった。

お母さんはわたしにとって、不死身でいてほしい存在です。

不死身は大袈裟だけれども、100歳を越えるまで多少物忘れとかしながらも元気に生き、ある日起きてこないなーと思ったら眠るように永眠していました。残されたわたしやわたしの子供(仮)や妹は、悲しみながらもその幸せな人生を大いに讃えたのでした。

という、時代錯誤なことを考えていたわけです。

 

年末のある日、お母さんはわたしたちに自分は乳がんだと言いました。

妹は大泣きしました。

だからわたしは泣けませんでした。2人が泣いたらお母さんが困るから。

今時は子供が中学生以上だったら普通に言うものだとか、

今はたくさんの芸能人がかかっていることもあって、乳がんは新しい効果的な治療法がどんどん出ているのだとか、

そう言って、少しでも慰めようとしました。

それでも転移を繰り返し、苦しむ人がたくさんいることも知っているわたしたちはあまり励まされることはなかった。

とても悲しくて辛いことだけれども、お母さんやお母さんを愛するお父さんの気持ちを考えるとわたしは「仕事ならいつでも休むから出来ることは何でも言ってね。」と、気丈に振る舞うしかなかった。

 

ある忘年会の帰り道、彼と電話してる時に大爆発してしまいました。

まだお母さんと生きたい。わたしの寿命を30年あげるから、わたしが60くらいのときに同じくらいに死にたい。ずっと元気だったのになんで。

電話口で突然大泣きして、わたしが死にたいなどと言い出して、多分本当に困らせてしまったと思う。

でも次に泣くのはもうどうにもならなかったときにしようと(翌朝起きてから)思いました。

 

とはいえ、今もわたしたちみんなが会社にいるとき何を思って家に一人でいるんだろうと考えると一刻も早く仕事をほっぽり出して家に帰りたいと思ってばかりです。

気遣ってくれる上司や先輩には本当に感謝しかありません。

とりあえず今は、食事療法中でも美味しく食べられるご飯や無添加の美味しい野菜ジュースを探しては試しを繰り返しています。

意外にもコスメキッチンに玄米おにぎりとかあってビックリ!

今はAmazonやコスメキッチン、自然派のスーパーをフル活用していますが、御詳しい人、情報いただけるととても嬉しいです。

 

新年を機に始めたブログですが、こんな真面目な話を書いては消してとしてたら数日かかってしまいました。

こんな重さでは続かないと思うので、ライトな記事を軽く投げることを今年は継続したいなと思っています。

最初だからSNSで書きましたとするけれど、もう多分あまりお知らせすることもないと思うので、気になる方はたまに覗きにきて下さい。