転職を決意した理由

昨年の12月から転職活動を本格的にスタートしました。
面接も落ちたり受かったりしながら進んでいます。
新年度から、新しい仕事が出来るように日々自己分析の繰り返しです。

今の会社でよくない?

安定して同年代程度かそれ以上のお給料なのに
そこそこ有名な会社なのに
残業もそんなに多くないのに
なんだかんだ楽しそうに仕事してるのに

全部、いろんな人に言われたことです。
全部、事実だと思います。
それでもわたしは転職したいと思ったのです。

転職を決めた理由

①世界と関わる仕事がしたい
学生時代から父の影響でアメリカに何度か訪れ、一人旅も行い、死なない程度の英語力はあると思っています。
しかし就活中は氷河期。今の会社にも入りたかったのは事実だけど、少しそこを妥協したところがありました。
そんな思いが薄れてきていた5年目、グローバル人材育成教育のメンバーに抜擢されたのです。研修は長かったので詳細は端折りますが、実際にインドにも行き、眠っていたわたしの海外と関わる仕事への憧れが目覚めたのです。
しかし今の会社に海外と関わる仕事はなく、ダイバーシティと言って雇う外国人は日本語ぺらぺらの人だけ。この会社ではやりたいことができないのだと気付きました。

②わたしじゃないと出来ない仕事がしたい
昨年の春からミッションが変わりました。わたしのこれまでの経験を活かして、営業出身の上司と拡販に近いことをするチームで頑張ってほしいと。
しかし、実際にはわたしがこれまでの経験からした意見が頭ごなしに否定され、営業寄りの意見を通すことばかりでした。そこで感じたのは、年次が浅くて染め上げやすい人であれば誰でもよかったのではないかということ。このことでモヤモヤする日々は半年間ほど続きました。
このことを完全に解消するには個人事業主のような形で働くしかありませんが、少なくとも自分の納得いく形で出来る仕事は世の中にもっとあるだろうと感じたのです。
少なくとも、今でも一部行なっている前までの業務では「さえちゃんだから頼りになる」「さえちゃんだから相談できる」と言ってもらえることはあり、そういう仕事はきっとどこかにあるのです。

③もう少し小さなところで働きたい
就活の時は大手志向でした。今でも新卒1社目で大手に行ってよかったと心から思っています。本当に大手では色んなことを学びました。その結果、ひと回り以上小さな会社、小さなグループ会社で働きたいと思ったのです。
顧客一つに会うこと、顧客数者と座談会をすること、そのために何十人もの関係者にお伺いを立て、SEを動かす工数をどこにどうやって払って貰うかを決め……そのようなことに疲れました。
顧客に会うためのお願いに行ったのに製品の品質のことをたくさん言われた日には、帰りの飛行機の中で何のために今日あの人に会いに行ったんだっけ?となりました。
目的を見失わない仕事がしたい。そのためにはもう少し小さくスピード感のある会社で働きたいと思ったのです。

で、実際どうか

たくさんの会社を見て、確かに当てはまる会社がたくさんありそうです。
面接で褒めてもらうたびに、社会人ちゃんと4年間やってきたんだなって実感もしています。
この時点で、活動に踏み切ってよかったなと思っています。
一方で、わたしがまだ5年先や10年先を見据えられていない、まだまだ浅いことに気付いてきました。
だからと言って、今の会社での5年後10年後なんてもっともっと描けません。
今の課題は他の会社に行った時の5年後10年後を考えることかなあなんて思いました。
新年度から新しいところで働けるといいなあ。

ボルダリングデビュー

今週のお題「2017年にやりたいこと」

 

2016年、やり残したことだったボルダリング、早速やってきました!

結論から言うと、全然できませんでした!

 

10級から始まっていくのですが、無知なわたしは10級をスイスイ登れて、あれ?イケるんじゃない?と思ってしまったのです。

(あとで調べたのですが、10級は ハシゴを登るレベルだそうです。)

9級は飛ばして、8級をやろうとなったのでこれまたあれ?イケるんじゃない?となってしまったのです。

そこから、8級の他の種類は一部難しいと感じながらもなんとかクリア。

しかし7級からは圧倒的にダメ。

どっちにどう手を出すのか、手から出すのか朝から出すのかがよく分からなくなってるうちに、腕が疲れてTHE ENDというのを1時間繰り返していました。

途中で常連のおじさんがアドバイスしてくれて少しマシになりましたが、それでも7級はクリアできずに今日が終わりました。

よくよく考えれば、小さな取っ手を持った状態で壁に向かって腕立て伏せしながら動くようなものなので、腕立て伏せがとても苦手なわたしがスムーズにできるはずなかったなと帰りに思いました。

次にいつやるかは未定。

 

本日の結論

・自分の体なのにうまく扱えないことに戸惑う

・体の重さを支えることは思った以上に困難

・腕の筋肉増強と、体重を減らすことをしてからではないと出来そうにない

・腕の筋肉痛がハンパない

・ベテランの人の腕の筋肉見てるだけで楽しい

・むしろそっちのが楽しい

・常連さん曰く、半分以上は頭でクリアできるらしい

 

お母さんは不死身だと思っていた

当たり前なんだけど、わたしよりも29歳年上である母親は、わたしよりも恐らく29年程度早く逝く。父にしても然り。妹は4つしか離れてないからここでは気にしない。

自然の摂理とはそういうものなのだと思う。

それでも実家から出たことのないわたしは、母のいない生活なんて考えられず、自分が死ぬことは想像できても母が死ぬことは想像できなかった。

お母さんはわたしにとって、不死身でいてほしい存在です。

不死身は大袈裟だけれども、100歳を越えるまで多少物忘れとかしながらも元気に生き、ある日起きてこないなーと思ったら眠るように永眠していました。残されたわたしやわたしの子供(仮)や妹は、悲しみながらもその幸せな人生を大いに讃えたのでした。

という、時代錯誤なことを考えていたわけです。

 

年末のある日、お母さんはわたしたちに自分は乳がんだと言いました。

妹は大泣きしました。

だからわたしは泣けませんでした。2人が泣いたらお母さんが困るから。

今時は子供が中学生以上だったら普通に言うものだとか、

今はたくさんの芸能人がかかっていることもあって、乳がんは新しい効果的な治療法がどんどん出ているのだとか、

そう言って、少しでも慰めようとしました。

それでも転移を繰り返し、苦しむ人がたくさんいることも知っているわたしたちはあまり励まされることはなかった。

とても悲しくて辛いことだけれども、お母さんやお母さんを愛するお父さんの気持ちを考えるとわたしは「仕事ならいつでも休むから出来ることは何でも言ってね。」と、気丈に振る舞うしかなかった。

 

ある忘年会の帰り道、彼と電話してる時に大爆発してしまいました。

まだお母さんと生きたい。わたしの寿命を30年あげるから、わたしが60くらいのときに同じくらいに死にたい。ずっと元気だったのになんで。

電話口で突然大泣きして、わたしが死にたいなどと言い出して、多分本当に困らせてしまったと思う。

でも次に泣くのはもうどうにもならなかったときにしようと(翌朝起きてから)思いました。

 

とはいえ、今もわたしたちみんなが会社にいるとき何を思って家に一人でいるんだろうと考えると一刻も早く仕事をほっぽり出して家に帰りたいと思ってばかりです。

気遣ってくれる上司や先輩には本当に感謝しかありません。

とりあえず今は、食事療法中でも美味しく食べられるご飯や無添加の美味しい野菜ジュースを探しては試しを繰り返しています。

意外にもコスメキッチンに玄米おにぎりとかあってビックリ!

今はAmazonやコスメキッチン、自然派のスーパーをフル活用していますが、御詳しい人、情報いただけるととても嬉しいです。

 

新年を機に始めたブログですが、こんな真面目な話を書いては消してとしてたら数日かかってしまいました。

こんな重さでは続かないと思うので、ライトな記事を軽く投げることを今年は継続したいなと思っています。

最初だからSNSで書きましたとするけれど、もう多分あまりお知らせすることもないと思うので、気になる方はたまに覗きにきて下さい。